横浜港開港以降、西洋との交流によって生み出され育まれてきた
ファッションとアートの文化についての企画展。
写真NGの展示のため、ざっくり振り返り。
▼第1章 東西文化の交差点 YOKOHAMA
1859年 日米修好通商条約により横浜港開港。
1900年代中頃にアメリカやイギリスで流行した
ティーガウンやイブニングコートを日本で輸出用に制作し始めたそう。
引用元:シルクティーガウン
西洋では孔雀が日本と関連づけられ、
異国情緒を喚起するモチーフとしてジャポニズムの絵画や工芸でよく描かれていたらしく、
光沢のあるグレーの絹平織に、桜に停まった孔雀の豪華な刺繍が入った羽二重の輸出用屋内着が展示されてました。
しょっぱなから美しすぎるガウンに惚れ惚れ‼️
こんなガウンを手にしてみたい…
他にも手刺しのキルティングのコートや組紐のベルト、
薩摩焼のバックルやボタン・ブローチ、
そして服だけではなく高浮彫りで華麗な装飾を施した陶器が並んでました。
▼第2章 日本 洋装の受容と広がり
1871年 散髪脱刀法により、
天皇の礼服が洋装の軍服に代わり、学生服なども洋装に。
この時女性はまだ着物に洋装を一部取り入れるなど和洋折衷段階だったそうですが、
1886 婦人服制の後に、
女性も束帯や五衣に代わって洋服を身に付けるようになったとのこと。
昭和初期には、最先端の服を着た女性は「モダンガール」と呼ばれ、
「銀ぶら」してる洋装和装のモダンガールを撮った
写真家 師岡宏次の写真が展示されてました📷
この頃の女性は今見てもとてもおしゃれ✨
月岡芳年などの浮世絵では、
西洋上げ巻きの髪型をして和洋折衷な姿の女性が描かれていたり、
音符×トランプ、西洋バラ模様など西洋風モチーフの着物も生まれ、
西洋文化を取り入れた日本のファッションが出来てきているのが見て取れます。
この頃指輪などのアクセサリーも人気が出てきて、
着物の帯留めもダイヤを使ってみたりと本当に素敵😍
三谷十糸子 独楽
さらに奥の部屋に飾られていたひときわ豪華で圧巻の1着は、
昭憲皇太后が着用した大礼服。
(動画内一番右の1着)
ビーズや刺繍が施された絹のゴールドのドレスに、
数種の菊の花が刺繍されたベルベット素材の深グリーンのトレーン。
長さはなんと3.3mもあるそうで、位の高さを表しているとのこと。
はぁ、こんな素敵な服着てみたい(溜息)
1887年の昭憲皇太后の思召書では洋裁を習うことを推奨していたりと、
華族の女性の嗜みとされていたそう。
▼第3章 西洋 ジャポニスムの流行
19世紀後半の万国博覧会での日本の美術工芸品が好評で、ジャポニズムが流行。
第3章では、日本⇨西洋への影響が見て取れる展示に。
ジャポニズムに関しては、
前に世田谷美術館でやっていたボストン美術館の
"華麗なるジャポニズム展"で、
モネの"ラ・ジャポネーズ"を始め色んな絵画や装飾品を見たから記憶に残ってましたが、
今回は日本の刀装具である小柄を模したナイフセットや、
竹と雀柄の日本製テキスタイルのドレスなどが展示されていました👘
コルセット必須の西洋には着物の形が珍しかったようで、
オシャレ屋内着として着物を羽織るのが流行に。
着物を西洋風に解釈して再構築されたドレス達も並んでいました。
また、ドレスの柄などの左右非対称の構図も日本の影響だったそうで、
服を立体と捉える西洋に対して一枚の画面として捉えた日本の着物の柄の構図は、
それまでの西洋のものには見られなかったもののよう。
最後の展示スペースには、着物から発想され生み出されたドレスが数着並んでいましたが、
ウエストを締め付けず直線的で平面的な、現代でもよく着る形のドレス達でした。
日本で多用される波形のモチーフをビーズで表現したドレスもあったり、どれも本当に素敵なもの。
(写真撮れないの悔しい😂)
オートクチュール展もそうだけど、
100年以上の時を越えてなお美しい服って本当に憧れるしロマンを感じる…。
時代も文化も用途も違うから、
あんなに華やかでデコラティブなドレスを現代で着ることがないのは解るけど、
一度でいいからタイムスリップして袖を通してみたいーっ‼️
と悶絶する企画展でした✨
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